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広島高等裁判所 昭和59年(ネ)19号 判決

《住所省略》

控訴人兼附帯被控訴人(以下控訴人という) 財団法人防射線影響研究所

右代表者理事 重松逸造

右訴訟代理人弁護士 河村康男

同 西本克命

《住所省略》

被控訴人兼附帯控訴人(以下被控訴人という) 大日方澄江

右訴訟代理人弁護士 鶴敍

主文

一  本件控訴及び被控訴人の付帯控訴に基づき原判決主文第一ないし第三項を次のとおり変更する。

1  被控訴人が控訴人に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

2  控訴人は被控訴人に対し、

(一)  昭和六〇年一月から同年三月まで毎月二五日限り金三〇万三一九八円宛を、同年四月から同年六月まで毎月二五日限り金三一万二〇五六円宛を、同年七月から同六一年三月まで毎月二五日限り金三一万七〇〇〇円宛を、同年四月から同年九月まで毎月二五日限り金三二万六二七〇円宛を、同年一〇月から同六二年三月まで毎月二五日限り金三三万一四二〇円宛を、同年四月から同年一二月まで毎月二五日限り金三四万一一〇二円宛を、

(二)  昭和六〇年七月末日限り金六三万三〇〇〇円を、同年一二月末日限り金九一万一一〇〇円を、同六一年七月末日限り金六五万一五四〇円を、同年一二月末日限り金九五万二九一八円を、同六二年七月末日限り金六八万一二〇四円を、同年一二月末日限り金九八万〇九九六円を

それぞれ支払え。

3  控訴人は、被控訴人に対し、金一〇万円及びこれに対する昭和五八年一月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

4  被控訴人のその余の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、第一、二審を通じて、これを五分し、その一を被控訴人の負担とし、その余を控訴人の負担とする。

三  この判決第一項2、3は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

(控訴について)

一  控訴の趣旨

原判決中控訴人敗訴部分を取消す。

被控訴人の従業員たる地位確認の請求を却下し、その余の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。

二  控訴の趣旨に対する答弁

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

(附帯控訴について)

一  附帯控訴の趣旨

1 原判決主文第二、三項を次のとおり変更する。

控訴人は被控訴人に対し、

(一) 昭和五八年一月から同五九年一二月まで毎月二五日限り金二九万〇四六三円宛を、同六〇年一月から同年三月まで毎月二五日限り金三〇万三一九八円宛を、同年四月から同年六月まで毎月二五日限り金三一万二〇五六円宛を、同年七月から同六一年三月まで毎月二五日限り金三一万七〇〇〇円宛を、同年四月から同年九月まで毎月二五日限り金三二万六二七〇円宛を、同年一〇月から同六二年三月まで毎月二五日限り金三三万一四二〇円宛を、同年四月から同年一二月まで毎月二五日限り金三四万一一〇二円宛を、

(二) 昭和五八年から同五九年まで毎年七月末日限り金五六万〇五二六円宛を、毎年一二月末日限り金八一万二七六二円宛を、同六〇年七月末日限り金六三万三〇〇〇円を、同年一二月末日限り金九一万一一〇〇円を、同六一年七月末日限り金六五万一五四〇円を、同年一二月末日限り金九五万二九一八円を、同六二年七月末日限り金六八万一二〇四円を、同年一二月末日限り金九八万〇九九六円を

それぞれ支払え。

2 控訴人は、被控訴人に対し、金二〇〇万円及びこれに対する昭和五八年一月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3 附帯控訴費用は控訴人の負担とする。

4 仮執行の宣言。

二  附帯控訴の趣旨に対する答弁

本件附帯控訴を棄却する。

被控訴人が当審で拡張した請求を棄却する。

附帯控訴費用は被控訴人の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被控訴人(大正一四年八月一五日生)は、昭和二三年八月一二日、原爆傷害調査委員会に併設された国立予防衛生研究所広島支所(広島原子爆弾影響研究所)に厚生事務官として勤務し、前記委員会が昭和五〇年四月一日控訴人に組織変更されてからは控訴人の職員となり、同年六月一日以来秘書として勤務していた。

2  控訴人の就業規則(昭和五九年三月九日定年並びに退職金に関する協定書に基づく改正前のもの、以下旧規定という)三三条一項には「職員の定年は男子満六二歳、女子満五七歳とし、退職の日は満年齢に達した直後の六月末日又は一二月末日とする。」と定められており、控訴人は、昭和五七年一一月二六日、被控訴人に対し、被控訴人は右規定により同年一二月三一日をもって定年により退職することになる旨の通知をした。

3  しかし、右旧規定のうち女子の定年を男子より低く定めた部分は、後記のとおり無効であり、被控訴人は、依然として控訴人の従業員としての地位を有するものである。

4  被控訴人は、

(一) 昭和五七年一二月当時、控訴人から、事務職四等級一四号俸の支給を受けていたが、同五八年一月一日以降も控訴人の従業員としての地位を有しておれば、同日事務職四等級一五号俸に昇給し、同日以降同号俸の給与合計二九万〇四六三円を毎月二五日限り、期末手当として夏期手当五六万〇五二六円を毎年七月末日限り、年末手当八一万二七六二円を毎年一二月末日限り支払われることになっていた。

(二) ついで、昭和六〇年一月以降は、給与として、同年一月から同年三月まで毎月二五日限り三〇万三一九八円、同年四月から同年六月まで毎月二五日限り三一万二〇五六円、同年七月から同六一年三月まで毎月二五日限り三一万七〇〇〇円、同年四月から同年九月まで毎月二五日限り三二万六二七〇円、同年一〇月から同六二年三月まで毎月二五日限り三三万一四二〇円、同年四月から同年一二月まで毎月二五日限り三四万一一〇二円が、期末手当(夏期手当、年末手当)として、昭和六〇年七月末日限り六三万三〇〇〇円、同年一二月末日限り九一万一一〇〇円、同六一年七月末日限り六五万一五四〇円、同年一二月末日限り九五万二九一八円、同六二年七月末日限り六八万一二〇四円、同年一二月末日限り九八万〇九九六円が支払われることになっていた。

5  被控訴人は、後記のように、控訴人から、その公序良俗違反の男女差別定年制のため、昭和五七年一二月三一日をもって定年が到来したものとして、従業員としての地位を否認され今日に至っている。このような男女差別を肯定する控訴人の措置(不法行為)により、被控訴人は二〇〇万円相当の精神的、経済的な損害を蒙った。

6  よって、被控訴人は、被控訴人が控訴人に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認(従業員たる地位確認)、昭和五八年一月一日以降被控訴人が満六二歳の定年によって退職する昭和六二年一二月末日までの間の前記給与及び期末手当の支払、不法行為による損害賠償として金二〇〇万円及びこれに対する昭和五八年一月一日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1、2、4(一)は認める。同3、5は争う。

三  抗弁

1  控訴人の旧規定三三条一項は、控訴人における女子職員の定年を満五七歳(退職の日は満年齢に達した直後の六月末又は一二月末)とする旨定め、同三一条は、職員が定年に達したときは退職する旨規定している。被控訴人は、昭和五七年八月一五日定年に達したので、同年一二月末日をもって控訴人を退職したものである。

2  仮に、旧規定三三条一項の女子職員の定年を男子より低く定めた部分が無効であるとすれば、次のとおり主張する。

控訴人は、昭和五九年三月九日、労組との間で、定年年齢は男女とも経過措置を設けて満六〇歳とする旨の定年並びに退職金に関する労使協定を締結したが、これに基づいて改正された就業規則(以下新規定という)三二条一項には「職員の定年は満六〇歳とし、退職の日は満年齢に達した直後の六月末日又は一二月末日とする。」旨定められており、また、経過措置として、「定年を、男子については、最初の六年間は満六二歳とし、以後三年毎に六か月づつ段階的に引下げ、昭和七二年一月から満六〇歳とする。女子については、当初現行定年年齢満五七歳を満五九歳とし、以後一年毎に六か月づつ延長し昭和六三年一月から満六〇歳とする。」旨規定している。被控訴人は、新規定の適用を受けないものであるが、控訴人は、労使協定の趣旨に準じ、被控訴人を昭和五八年一月一日以降昭和五九年一二月三一日まで、引続き控訴人の職員としての身分を有するものとして処遇することを昭和五九年七月一〇日の理事会で決定し、翌一一日被控訴人に通知した。右措置によっても、被控訴人は昭和五九年一二月三一日をもって定年退職となるため、控訴人は、被控訴人に対し、同年一一月三〇日付書面でその旨通知した。被控訴人は、右定年退職日の経過により、いずれにしても、控訴人の職員としての地位を喪失したものである。

3  控訴人は、前記のとおり、新規定の経過措置を準用して、昭和五九年一二月三一日まで被控訴人を控訴人の職員として処遇することとしたことから、被控訴人に対し同日までの給与、期末手当のすべてを支払っている。

四  抗弁に対する認否

旧規定及び新規定中に、控訴人主張のような定めが存在し、控訴人が被控訴人に対し、各通知をしたことは認める。その余は争う。

五  再抗弁

1  控訴人の旧規定三三条一項は、性別を理由として女子職員を男子職員と差別するものであって、憲法一四条に違反し、民法九〇条の公序良俗に反し無効である。したがって、被控訴人の定年は男子と同じく満六二歳であり、被控訴人は、昭和六二年一二月三一日をもって、定年退職するものである。

2  控訴人主張の昭和五九年三月九日付定年並びに退職金に関する労使協定及びこれに基づく新規定は、経過措置をも含めて、男女の定年に差別があり、女子に不利である部分はすべて憲法一四条、男女雇用機会均等法第一一条に違反し、また民法九〇条の公序良俗違反に該当するので、無効である。

すなわち、右労使協定及び新規定は、男女の定年を共に満六〇歳とし、格差を是正することを目的とするものであるのに、経過措置により、実際は、女子は昭和六三年以降にはじめて六〇歳定年制の適用を受けうるのに対し、男子は昭和六四年末まで現行の六二歳定年制の適用を受け、昭和七二年以降にはじめて六〇歳定年制の適用を受けることになり、また男子は定年まで定期昇給があるのに、五七歳以上の女子には定期昇給がなく、さらに男子には定年後六か月間の再雇用の制度があるのに、女子にはそれがないなど、従前の格差を温存しようとしているものであって、到底許容しえないものである。

したがって、被控訴人は、右新規定によって定年退職したものとすることはできず、依然として、控訴人の従業員としての地位を有するものである。

六  再抗弁に対する認否及び主張

1  再抗弁1は争う。本件は男子六二歳、女子五七歳という高年齢定年制であり、厚生年金保険法四二条に定める老齢年金の受給資格年齢である男子六〇歳、女子五五歳のいずれをも上回る。厚生年金保険法は定年差別を予定しており、かつ本件のように社会保障制度に接合した高年齢定年制の場合、五歳差の定年は、現在の社会的実情ないし社会通念に照らしても、あるいは大多数の国民感情からみても、その不合理性、反公序性を根拠づけることはできない。右定年制は、原爆傷害調査委員会とその労働組合との間で昭和三八年四月一日締結された「退職金並びに定年に関する協定」により実施されていたものを、控訴人がその設立によって引継ぎ、就業規則に定めたものである。被控訴人は、旧規定に基づく定年制を含む労働条件を十分理解して控訴人に採用され、右定年制施行以降八五名の女子従業員がいずれも異議なくその適用を受けて来た。私的自治の原則は能うかぎり尊重されるべきであり、反公序性の判断は慎重でなければならない。また、憲法一四条は合理的理由のない性別による差別を一切禁止する趣旨のものではない。民法七三一条の婚姻適齢の差別規定、同法七三三条の再婚禁止期間の差別規定、労働基準法の一連の女子保護規定、厚生年金保険法の老齢年金受給年齢における差別規定は、いずれも差別についての合理的理由はないが、憲法一四条は右各規定を許容している。旧規定にもとづく定年制も右許容範囲に含まれ、憲法一四条に違反しない。なお、憲法一四条は私人間の法律行為には適用されないものであるから、仮に法律行為が憲法一四条に反する場合でも、それだけでは直ちに無効とはならず、その態様、程度が社会的に許容し得る限度を越えるときに限り、その法律行為が民法一条や九〇条によって無効とされる場合があり得るにすぎない。

2  再抗弁2は争う。改正定年制は、女子の定年年齢を満五七歳から満六〇歳に延長したが、これに経過措置を設けて三年間で段階的に満六〇歳に引上げることとし、当初まず二歳引上げて五九歳とし、以後六か月ずつ延長して昭和六三年一月から一律に六〇歳定年とすることとした。定年の延長は、必然的に賃金、退職金、年金制度等について財源負担を雇用主に強いることになり、かつ人事の停滞を招くことになる。殊に控訴人の場合、職員のうち女子の占める割合は四〇パーセントにも及び、三歳の定年延長が組織内に及ぼす影響は極めて大きい。したがって、右のような経過措置を設けて段階的に新制度への移行を図るのもやむをえないところである。定年制の改正に当たり、広島県地方労働委員会(以下地労委という)から「定年制は男女とも経過措置を設けて六〇歳とすること」という勧告を受けたが、それはこの点を配慮してなされたものであり、また控訴人が国庫の補助金団体であることから、主務官庁の指導のもとに経過措置を設けることになったものである。このように、本件経過措置は、女子の定年延長が控訴人に及ぼす影響を配慮した公的機関の勧告、指導を受け、かつ労使の合意により制定されたものであり、また三年という短期間に段階的に引上げを図るという点を考慮すれば、その合理性は明らかである。一方、改正定年制は、男子についても従来の六二歳定年を六〇歳に引下げて男女六〇歳定年としたが、男子については労働条件の不利益変更となるので、かなり長期間にわたって段階的に引下げることとし、昭和七二年一月から一律に六〇歳定年とすることとした。改正厚生年金保険法においても、既得権を尊重し、新制度への移行は、経過措置を設けて一五年ないし二〇年の長期間にわたって段階的に行われるのであって、定年の引下げについても右のような経過措置を設けることはやむを得ないところである。右のような経過措置を設けた結果、控訴人において、男女一律に六〇歳定年が適用されるのは昭和七二年一月以降となる。被控訴人はこの点をとらえて男女差別というが、これは経過措置の反射的効果であって、制度そのものには六二歳定年制は存在せず、また男女差別も存在しない。

女子職員の定年に関する経過規定が無効であり、新規定の六〇歳定年制が適用されるとしても、被控訴人は昭和六〇年八月一五日満六〇歳となり、同年一二月三一日定年退職となったものである。

第三証拠関係《省略》

理由

一  請求原因1、2、4(一)の各事実は、当事者間に争いがない。

二  控訴人は、被控訴人は旧規定三三条一項に基づいて定年退職した、仮に旧規定が無効であるとすれば、控訴人は被控訴人に対する処遇について準用することとした新規定三二条一項及びその経過措置に基づいて定年退職したと主張するので、この点について判断する。

旧規定三三条一項、新規定三二条一項の各規定の内容が控訴人主張のとおりであること、控訴人が被控訴人に対し、被控訴人主張の各定年退職について通知したことは当事者間に争いがない。

ところで、被控訴人は、控訴人の職員の定年退職について、右各規定は、いずれも性別によって女子を男子と差別するもので、公序良俗に違反するものであり、民法九〇条により無効であると主張するので、この点について判断する。

憲法一四条は、すべての国民が、法の下に平等であることの具体的内容の一つとして、性別による差別を一切禁止しているところ、右規定は、直接的には国又は公共団体の公法上の責務を定めたもので、私人間の法律関係を規律するものではないが、右憲法の規定が国民に対し男女平等の原理を基本的人権として保障していることは、右原理が法秩序の基礎として確立され、この分野における国民の権利が不当に侵害されないことを国家社会の秩序とすることを宣言したものとみるべきであるから、私人間においても、右権利を合理的な理由なく侵害することは、公序良俗違反の行為にあたり、民法九〇条によりその法的効力を否認されることになる。このような見地からすれば、使用者が、就業規則等により、男女間の定年年齢について差を設けることは、これについて合理的な理由がない限り、公序良俗違反の行為として無効となるとみるのが相当である。

まず、旧規定についてみるに、控訴人における旧規定による定年制は、男子六二歳、女子五七歳と五歳の年齢差をもって定められていたものであるから、右差別についての合理的理由の有無を検討することとする。

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

1  控訴人は、平和目的の下に放射線の人に及ぼす医学的影響及びこれによる疾病を調査研究し、原子爆弾の被爆者の健康保持及び福祉に貢献するとともに、人類の保健の向上に寄与することを目的として、昭和五〇年四月一日、同目的で設立されていた従前の原爆傷害調査委員会を改組して設立された財団法人であり、広島市及び長崎市に研究施設を有し、被爆者の寿命、健康に関する調査研究事業、被爆者に関する病理学的調査研究事業、遺伝学的、免疫学的調査研究事業等広範囲に亘る事業活動を行っている。なお、その財政は、殆ど日米両国政府が平等負担する補助金によって賄われているが、その予算総額は昭和五七年度において三六億円余である。

2  昭和五七年一〇月当時の職員数は、総数五一九名(男子三七五名、女子一四四名)で、その主な職種は、研究職六〇名(男子五〇名、女子一〇名)、医療技術職一一四名(男子七六名、女子三八名)事務職二七八名(男子一九五名、女子八三名)などであったが、事務職の担当する分野は広範囲に及んでおり、主要部門として、疫学統計部に一〇五名(男子七三名、女子三二名)、研究渉外部の連絡部門に四六名(男子二五名、女子二一名)、事務局に七一名(男子四九名、女子二二名)がそれぞれ配置されていた。職員の年齢構成としては四五歳以上が多数で、全体の六〇ないし六五パーセントを占めていた。殆どの部署に女子職員が配置されており、担当職務についても男子と比較して女子を不適当とする職種は殆ど存在しない。

3  控訴人においては、前身である原爆傷害調査委員会当時、就業規則上定年制についての定めがなかったところ、昭和三八年定年制を実施することとなり、当初当局側は男子五五歳、女子五〇歳を提案したのに対し、組合側から年齢の引上げの要求があり、男子六〇歳、女子五五歳の提案に変更し、最終的にはさらに二歳ずつ上積みして男子六二歳、女子五七歳とすることで合意し、昭和三八年四月一日、労使間で右合意等を内容とする退職金並定年に関する協定書が作成され、これに基づいて右定年制を織り込んだ就業規則の改正が行われた。原爆傷害調査委員会が控訴人に改組された際、昭和五〇年三月三一日付で、控訴人の設立代表者と組合本部執行委員長との間で、従前組合が委員会との間で有していた労働条件が控訴人発足後も継承されることが確認されたが、定年制についても、控訴人の設立に伴い制定された就業規則中に従前と同一内容の旧規定が設けられた。

以上のとおり認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、控訴人は公益目的のために設立された財団法人で営利を目的とするものではなく、その運営も政府の補助金によって行われ、その事業活動は広範囲に及び、これに従事する職員の担当事務も多様なものであるところ、女子職員は職員総数の三〇パーセント近くを占め、その担当職務も広範囲に及んでおり、職務の性質も女性なるが故にその範囲が限定されることはなく、通常の場合、事業活動の各分野において、少なくとも六〇歳過ぎまでは男性と同様の能力を発揮できるものであることが明らかであり、また旧規定における定年制そのものも労使の交渉の中での妥協点として定められたもので必ずしも合理的な根拠に基づいて定められたものではなかったと言うことができ、これによれば、控訴人において、事業の運営上定年年齢において女子を男子と差別しなければならない合理性を認めることができず、控訴人の定年制における男女差別は性別のみを理由とするものであるというほかない。

なお、婚姻適齢につき男女差を設けた民法七三一条、女性につき再婚禁止期間を定める民法七三三条、労働基準法における労働時間その他の労働条件の多くの分野での一連の女子保護規定はそれぞれ合理的理由のもとに定められたものであり、また厚生年金保険法四二条の老齢年金の受給年齢差については、年金財政面から受給権者の多い男子を六〇歳に引き上げたものであり、これらの定めから合理性のない定年年齢の男女差を公序良俗に反しないものとして是認することができないことは明らかである。

したがって旧規定中女子の定年年齢を男子より低く定めた部分は、性別による不合理な差別を定めたものとして民法九〇条により無効といわなければならない。

次に、新規定についてみるに、被控訴人は、新規定が男女の定年を共に六〇歳としながら、その経過措置中に、六〇歳定年の実施時期について、男女間で許容し得ない差別を設けており、この部分は公序良俗に違反し、民法九〇条により無効であると主張する。

前記のとおり、新規定は、控訴人における男女職員の定年をいずれも六〇歳とするものであり、従前の差別定年制を解消し、定年年齢について完全な男女の平等を実現しているものであるから、定年年齢の定め方そのものに違法の点はない。

そこで、経過措置の合法性について検討してみるに、控訴人が新しい定年制を実施するため改正した就業規則中には、経過措置として、六〇歳定年の実施時期についての男女差、すなわち、女子の場合当初定年年齢満五七歳を満五九歳に引上げ、その後一年毎に〇・五歳宛引上げ、昭和六三年一月から六〇歳定年となるのに対し、男子の場合は昭和六四年末まで従前の六二歳定年を維持し、その後三年毎に〇・五歳宛引下げ昭和七二年一月以後完全な六〇歳定年となる旨規定されていることは当事者間に争いがない。そして、《証拠省略》を総合すれば、右の如き経過措置を設けたのは、控訴人において昭和五七年六月頃から、その職員の定年を、昭和六〇年施行の国家公務員の六〇歳定年に準じて、男女とも六〇歳とすることを検討することとなり、組合と交渉を始めたが、組合側は男女六二歳定年を主張して譲らず、容易に妥結に至らないため、昭和五八年一一月控訴人におい委にあっせんを申請したところ、地労委は昭和五九年一月九日、定年制は男女共経過措置を設けて六〇歳とすることなどを内容とする勧告を行い、これを受けて控訴人は、組合と協議の結果、同年三月九日、労使間に、職員の定年年齢を経過措置を設けて男女共六〇歳とすること及び経過措置として前記同様の内容の規定を設けることの合意が成立し、協定書が作成されたことによるものであること、控訴人は右協定書に基づいて就業規則の改正を行い、厚生大臣の承認を得たうえ、同年三月一九日施行したこと、なお、右改正にあたり前記のような経過措置が設けられたのは、男子についてはその既得権を失わせないようにとの配慮に基づくものであったが、女子については、その理由が明確でないこと、また、右新規定の施行にあたっては、昭和五八年一二月末をもって旧規定により退職となった女子職員三名を救済する趣旨で、新規定三二条一項に限って昭和五八年一二月三一日から適用することとしたこと、しかし、被控訴人は、旧規定により昭和五七年一二月三一日の退職であったため、右救済措置の適用を受けないものであったところ、当時既に本件一審判決も言渡されていたことから、控訴人は、理事会において検討の結果、被控訴人に対し新規定及び経過措置を準用して、昭和五九年一二月三一日をもって定年退職とすることを決定し、同年七月一一日被控訴人に対しその旨通知した(右通知がなされたことは当事者間に争いがない)ことが認められ、右認定に反する証拠はない。

これによれば、控訴人が新規定の施行に際し、就業規則中に設けた経過措置は、前記のごとく、一定期間にわたって、男子については従前の六二歳定年を維持し、女子については新規定による六〇歳定年の実現を遷延しようとするものであり、その内容は、経過措置とはいうものの、新規定による男女六〇歳定年制を部分的に修正するものであり、実質的にみて新規定による定年制度の一部をなすものとみることができる。

ところで、経過措置が、男子に対して六〇歳定年を段階的に実施しようとしたのは、前記のとおり男子の既得権の保護を目的としたものであるから、それ自体は十分合理性を有するものと評価することができる。しかし、経過措置が女子に関して六〇歳定年の実施時期を遷延する規定を設けたことは、前記認定の経過を考慮しても、何ら合理性を認め難いばかりか、前記のごとく旧規定の下における女子の定年年齢が結果的に男子と同じ六二歳となるものとすれば、その既得権が保護されるべきことは男子の場合と異なるところはないから、経過措置が男子についてだけ定年年齢満六〇歳への引下げを段階的に行うこととしたことは、片手落ちの措置であったとみるほかなく、経過措置のうち女子に関する部分は、女子についての不合理な差別であり、民法九〇条により無効といわなければならない。

なお、《証拠省略》中には、女子の定年年齢については一挙に六〇歳に引上げることも検討したが、監督官庁の厚生省より歯止めがかかり本件経過措置を設けることになったものであり、行政改革が行われている背景の中で職員の退職制度を改正するにあたっては、経過措置を設けなければ予算を確保し得ないような状況にあったとする部分があり、控訴人の内部事情として、本件定年制の改正にあたり、経過措置を設けることについて、監督官庁の行政指導がなされ、本件経過措置がこの指導に従ったものであること、また、前記のごとく財政の殆どを政府の補助金に依存している控訴人としては、予算確保の必要上、右行政指導に従うべき立場にあったことは十分推認することができるが、右背景事情を考慮しても、なお本件経過措置を設けて定年につき男女差を設けることの合理性を肯認することはできない。

以上のとおりであって、旧規定のうち女子の定年年齢を男子より低く定めた部分は無効であるから、これを被控訴人に適用し得ないこととなる。したがって、被控訴人が旧規定の右部分の適用によって控訴人の身分を失ったものとすることはできない。すなわち、被控訴人に対しては、旧規定中の男子の定年年齢に関する規定が適用され、被控訴人は、旧規定によれば、満六二歳に達した直後の昭和六二年一二月末日退職することになるものといわなければならない。そして、新規定の施行により、控訴人における定年年齢は男女とも満六〇歳となり、経過措置の定めに従ってこれに移行するものとされたところ、前記のとおり、女子に関する経過措置が無効であるとすれば、女子に対しても男子に関する経過措置が適用されることになるから、昭和六二年八月一五日満六二歳となる被控訴人は、同年一二月末日まで控訴人の従業員たる身分を有することとなる。

三  次に、被控訴人の賃金請求について判断する。

前記によれば、被控訴人は、昭和六二年一二月末日まで控訴人の従業員としての身分を有するものであるから、被控訴人は控訴人に対し昭和五八年一月一日以降右退職日までの給与、期末手当の請求権を有することが明らかであるところ、請求原因4(一)の事実は当事者間に争いがなく、同4(二)の事実は控訴人においてこれを明らかに争わないので自白したものとみなすべく、被控訴人は控訴人に対し、同金額の賃金請求権を有するものというべきである。

そこで、控訴人の弁済の抗弁についてみるに、《証拠省略》によれば、控訴人は、前記のとおり、昭和五九年七月一一日、被控訴人に対し、新規定の経過措置を準用して、昭和五九年一二月三一日まで控訴人の職員として処遇することを通知した後、昭和五八年一月一日以降昭和五九年一二月三一日までの間被控訴人が控訴人の職員として正常に勤務したことを前提として、その間の給与、期末手当として、少なくとも前記争いのない金額を精算して支払っていることが認められるから、右期間の賃金請求は失当である。

したがって、控訴人は、被控訴人に対し、昭和六〇年一月一日以降昭和六二年一二月三一日までの間の給与、期末手当相当分の支払義務があるというべきところ、その支払時期が被控訴人主張のとおりであることは当事者間に争いがないから、控訴人に対しては主文2項掲記のとおりの金員の支払を命じるのが相当である。

四  次に、不法行為による損害賠償請求について判断する。

前記認定事実によれば、控訴人は、定年年齢について女子を男子と差別する公序良俗違反の旧規定を適用して、昭和五七年一二月三一日限り控訴人の職員としての身分が消滅したものとしてその地位を否認して、就労を拒否したものであり、このような公序良俗違反の規定に基づく被控訴人に対する差別的取扱は、同様に公序良俗違反の行為にあたり、被控訴人の人格、名誉を傷つける性質の行為であることは明らかであるから、これら控訴人の一連の行為は、被控訴人に対する不法行為を構成するものといわなければならない。そして、当審における被控訴人本人尋問の結果によれば、被控訴人は、右控訴人の不法行為によって精神的苦痛を受けたことが認められるところ、これに対する慰藉料としては、前記認定の控訴人が被控訴人の地位を否認した期間、否認の態様などに照らして、一〇万円が相当と認められる。なお、被控訴人が前記賃金支払によって償い得ない経済的損害を蒙ったことを認めるに足りる証拠はない。したがって、控訴人は被控訴人に対し右金員及びこれに対する不法行為時の後である昭和五八年一月一日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

五  以上のとおりであるから、被控訴人の従業員の地位確認を求める請求を正当として認容すべく、賃金請求、不法行為に基づく請求については、前記の限度で認容し、その余は失当として棄却すべきである。

よって、控訴人の控訴及び被控訴人の附帯控訴に基づき、原判決を主文掲記のとおり変更することとし、訴訟費用の負担について民訴法九六条、九二条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中原恒雄 裁判官 弘重一明 裁判官 矢延正平)

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